Nishinomiya Agape Church Marina Chapel


My Story 6



                                    伊藤陽子

私が洗礼を受けたのは、1999年12月25日です。早いもので、もうすぐ6年が過ぎようとしています。

私の実家は、母方のほうの親戚が全員創価学会に入っていましたので若い頃に何度かその集会みたいなものに

参加参加せざるを得ない時がありました。

でもその時は、特別に信仰を持つことは無く、私自身も自分の生涯の中で何かに信仰を持つ事なんて

絶対にないであろうと思って生きていました。

キリスト教に関しても知識が薄くほとんど何も知らなかった私が、今現在こうしてクリスチャンとしての人生を歩んでいる事を

思うと本当に不思議です。

救われる迄の事を思い返してみるたびに、まさしく、神様の導きであり計画であったのだと思わざるを得ないのです。

今から13年前、1992年6月4日。

私は大難産の末に1人の男の子を出産しました。

初めての育児に悪戦苦闘しながらも母親としての喜びに包まれて最高に幸福な時を過ごしていました。

しかし、その幸せは、そう長続きはしてくれませんでした。身体的には何の問題もなく、順調に育っているかの様に

思われたのですが、どうゆうわけか言葉がなかなか出て来ないのです。

息子の言語の遅れが気になり始め、不安を感じる様になっていきました。

そしてその不安が発達障害という現実の形になって目の前に立ちはだかった時から、私の中の全ての光が一つずつ

消えていくのを止めることができませんでした。薬や治療によって治せるものではありません。

不安と絶望感に支配されつつ何も知らずにスヤスヤと眠っている我子が不びんでたまりませんでした。

今後のことを考えると不安と心配が絶える事なく押し寄せてきました。

小学校に入学するとますます心配事が増えていきました。言語力の遅れだけではなく、一般的にはまだあまり認識

されていない障害を持って集団生活の中に入って大丈夫なんだろうか?みんなから、からかわれたりイジメられたりは

しないだろうか?勉強についていく事ができるだろうか?

全てがマイナス思考になってしまい、心配が心配を産み、精神的な疲れは頂点にまで来ていました。

そんな時に、神様は、思わぬ方法で、救いの御手を差し伸べて下さいました。

誘われて初めて参加させて頂いたアガペー教会の特別伝道集会の中でイエス様と出会う事ができたのです。

それまでの人生の中で聖書に触れた事すらなかった私がマタイの福音書11章28節の御言葉によって救われたのです。

『疲れた人、重荷を負っている人は、私の所にきなさい。私があなた方を休ませてあげます』

そう優しく語りかけて下さったイエス様の声を今でもはっきりと覚えています。

何よりも大切な愛する我が子がハンディを背負って生まれてきたことのショック。満足に産んであげる事ができなかった罪悪感と

将来への不安。

多分誰にもわかってはもらえないであろう心の奥の深い所にまで触れてくださったのはイエス様だけでした。

救われた時に得た大きな不安と止めどなくあふれだした涙を決して忘れる事はできないだろうと思っています。

信仰を持ったからといって、全ての問題が解決されたわけではありません。

それどころか、次から次へと押し寄せてくる難題が今も尚、絶えることなく、続いています。

相変わらず、悩みもあります。痛みや苦しみを持つこともあります。

でも以前とは違うところが一つだけあるのです。

それは、私がイエス様の光の中に居るということです。暗やみで迷ったり、不安に押しつぶされることはありません。

夢や希望を持てない人生では無く、全知全能なる神様と共に歩む事によって、夢も希望も持つことができるようになったのです。

『何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば人の全ての考えに、まさる神の平安があなたがたを守ってくれます』ピリピ4章6・7節

この御言葉が私を支えてくれました。

何より懸念していた息子の学校生活は度重なるイジメやトラブルはあったものの、日々欠かすことのない祈りによって守られて、

小学校を無事に卒業し、今は立派な中学生となりました。
例え、何をされても動じる事なく毎日元気に登校していく息子の姿を見ていると、ここ迄強くたくましく成長させて下さった神様に

感謝せずにはいられません。

私の人生において最も辛く悲しい出来事であろうと思われる事を通して神様の救いの計画は、実行されました。

それからは、苦しみの時も悲しみの時もいつもそばに居てくださり、慰めと励ましと、一歩前へ踏み出す勇気と力を与えて

下さいました。

信仰と同時に与えられた、神に祈る事が許されたという特権は、本当に大きな恵みとなりました。

これからもこの特権を無駄にすることがない様に子どもの更なる成長と将来の為に、今まで以上に神様を信頼し、

力強く祈り続けていかなければならないと思っています。