たましいの庭師


 神は愛ですから、ありのままの私たちを受け入れてくださいます。
よろめいても、座り込んでも、山のような罪を犯しても、しかし、一度受け入れてくださった後は、私たちが変
えられることを望まれます。からし種のような信仰から山を動かすほどの信仰に、利己的な愛からあふれる
愛に、情欲の人から霊の人に、神はたましいの庭師ですから、私たちの内面が整えられることを願っておられます。
よく切れるはさみ鋏、猛烈なふいごの風の火苦しみののみ、逆境の大敗。待つこと、赦し、 これが聖さ
の山頂に私たちを導かれる庭師の手です。神が手入れされ、私たちは山ぶどうの木から上等なぶ
どうの木になります。神がこねられると、私たちは土くれから骨董品になります。神が待っていてくださるから、
私たちは放蕩息子から立派な息子になります。神の供給によって、私たちは迷える小羊から元気な羊にな
ります。神の友情によって、私たちはしもべからイエスの友になります。 たましいを整える庭師の手は柔
らかいですが、だれでも、いつでも、何でも、変わらせるほど強いのです。そうして、私た
ちの貪欲は節制できるようになり、情欲が愛になり、義務が従順になるのです。


                          ―神、わがたましいの庭師/ファン・ピョンチョル