私の避け所なる岩 

若くして成功し、30代半ばで会社の役員となっている人と話をしたことがあります。
彼は「私はある日社長に呼ばれ、会社の規模を縮小しなければならないのですが、
私の職責をどうしたらいいだろうかと切り出される前まで、成功に対して一度も心配したこと
などありませんでした。」と言いました。自信に満ちていたこの若者の顔は一瞬にして
苦渋に満ちたものになりました。思いがけなく、彼の仕事と収入、自尊心が一瞬にして水の泡
となってしまう状況でした。 人によって感じる恐れの種類とその程度には差があります。
この若い会社員のケースのように、様々な恐れの中のいくつかが、すでに私たちの
バランス感覚を揺るがせてはいないでしょうか。自分が自分の生き方を支配しようとするなら、
私たちは遠からずこのような骨まで痛むような経験をすることになるのです。
 このようなとき、私たちを麻痺させ、混乱に陥れる恐れから抜け出すことのできる
脱出口こそが、神に対する畏れです。生きておられる神に従う者として、私たちは
そのお方に対する畏れを持ち、人間的な恐れと戦わなければなりません。
神に向かって走って行き、その後ろに隠れる者には、何も恐れるものはないのです!


   ―イエスに付き従う生き方/ジャン・デイビッド・ヘティンガー