正しい信仰、正しい決定
私たちは日常生活の中で一日に数多くの決定をします。コーヒーを飲むか、緑茶を飲むか。電車に乗るか、
バスに乗るか。このような些細な決定の一方で、“だれといつ結婚するか”“子どもをどんな学校に送るか”
“仕事を辞めるか”“違う事業をするか”といった決定は多少比重の重いものです。教会でも同じです。
修養会の場所をどこにするかといった些細な問題があるかと思えば、教会の建物を増築したり、新たな教職者を
迎えるといった重大な問題もあります。このような決定をするときに、その人の信仰が現われ、その教会の信仰が現われます。
普段は信仰が深く見えても、重要な決定をするとき、どのようにするかを見れば、その人の進行の成熟度がわかるものです。
神がどのようっておられるか、神の御心が何であるかを分別してください。問題を置いて神に祈れば、神は
聖書のみことばを通して、あるいは心の中に明らかな確信をくださることで、答えてくださいます。しかし、
祈ったからといって無条件に神の御心だと言い張る権限が与えられるのではありません。問題を置いて祈った後に、謙遜
に神の御心を待ち、その御心に従って自分自身の欲を捨てられなくてはなりません。これが信仰による
決断に必要な一番最初の要素になるのです。
―説教は難しくても、説教は楽しい/バン・ソンギ