荒野の二つの顔
私たちがどれだけ完全に文明化された場所に住んでいるとしても、突然荒野に放り出される
ことがあります。すべてが順調でした。ある分野で専門性を持ち、職を得て、家を持ち、良い車を
買いました。秩序あるスケジュールに従って動き、重要な責任を任され、自分自身を過信し、
人々が語る自分の評判を聞きながら、当然のごとくそれに自分を同一視していました。 しかし、
突然気を失わんばかりの危機がやってきます。まるで理解しがたいことが私に、あるいは私に
とって重要な人に起こるのです。激しい感情の渦に巻かれ、以前には考えもしなかった質問が
心の中に湧いてくるのを経験します。私の身体、感情、思考、友人あるいは職業に、突然の
変化が起こります。自分でもどうしてよいかわかりません。荒野へと入って行く瞬間です。
もちろん、私はこのような状況的荒野が、想像もしたくないような、恐ろしい、危険な場所だと
いうことは認めます。しかし、私はまた、そこが美しい場所だということも信じています。
他の場所では見て、聞いて、体験することのできない、ただ荒野でだけで見て、聞いて、
体験できることがあるからです。荒野に置かれたとき、もちろん私たちは恐れるでしょう。
しかし、私たちはまた目覚めて目を大きく開けていなければなりません。荒野は私たちが
危険と死に直面する場所ですが、向き合う態度によっては、神の偉大な神秘と私たちの
人生の特別な尊さに出会える場所でもあるからです。
―ダビデ、現実に根を下ろす霊性/ユージン・ピーターソン