神の謙遜を学びたいと思いますか。飼い葉桶に寝ておられる神を見てください。
「...見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神」(イザヤ25:9)。
飼い葉桶の幼子を見て「天にも地にも、わたしは満ちているではないか」(エレ23:4)というみことばを
どのように適用できるか考えてみました。幼子は布に包まれています。この幼子が、近づくのも畏れ多い
美しい栄光を着せられた幼子だというのでしょうか。
その方は私たちを満たすためにご自分を無にされました。神は、私たちが目に見えないものを
見ることができないことを知っておられます。私たちに天上の教訓を教えることはやさしいことではありません。
信仰は少しずつ与えられます。この言葉が信じ難いなら、私の言葉に耳を傾けないで、ベツレヘムに行って
飼い葉桶におられる神のみことばを見てください。見えます。簡潔です。
このみことばが天の御使いの群れを恐れでいっぱいにしたのです。飼い葉桶でその方は平凡な私たちと
対話されます。「このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ」
(イザヤ40:5)
純真な羊飼いたちは信仰によって祝福を受けました。彼らは野原からやって来て、布にくるまれて
飼い葉桶に寝ている幼子を見ました。これは彼らにとって名誉なことでした。
彼らは愛をこめてその方に賛美を捧げました。