1837年、リンカーンは「奴隷制度廃止論者糾弾案」が通過したのを見て、自分の限界を感じましたが、
考えを曲げませんでした。
そして、このような決議案の通過は、不義で悪い政策に基づいたものであると抗議文を送りました。
リンカーンが国会の上院議員選挙に共和党の立候補として選出されたとき、彼は奴隷制度反対の立場を
明らかにしました。しかし、相手の候補である民主党のスティーブン・A・ダグラスは、白人支持者の視線を意識し、
奴隷制度に対する論争を巧妙に避け、「ただ、国民たちの望みどおりにする」と曖昧な立場を取りました。
リンカーンは彼の主張が正しかったにも関わらず、結局落選してしまいました。利己的な欲求を満たすために、
奴隷制度を支持する大多数の白人たちがダグラスを推したためでした。
しかし1860年、ダグラス議員と再び争って大統領選に当選したリンカーンは、奴隷解放のために
神の御前にひざまずき祈り続けながら、神の善なる助けと知恵を求めました。
そして、着実な準備の末に、1863年1月1日、ついに奴隷解放宣言を布告しました。
「神は白人に自由をくださったように、黒人にも自由をくださいました。この日直ちに、そしてこれからすべての
奴隷たちに永遠に自由を宣言します。」
喜びを隠せない黒人たちの中の1人がリンカーンの前にひざまずき、彼の足に口づけしました。
「大統領閣下、あなたは私たち奴隷すべての救い主です。」リンカーンは彼を起こして言いました。
「人に向かってひざまずくのは正しくないことです。神にだけひれ伏し、神だけに栄光を讃えてください。
みなさんに自由をくださった方は神です。」