愛の通り道


 賀川豊彦は貴族であり、裕福な事業家であり、
天皇の相談役であった父と芸者だった母の間に生まれました。

彼がわずか4歳になったばかりの時、両親ともに亡くなり、彼は継母と一緒に暮らすことになりました。

そこで彼は身体的に虐待を受け、必要ともされず、愛されもしなかった幼年時代を送り、
残りの生涯を孤独の傷みを負って過ごしました。

 そうした中、徳島の学校に在学中、彼は米国長老教会の宣教師何人かを紹介されたのですが、
その中に彼の弁護者となったハリー・マイアーズ博士がいました。

賀川はイエスの教えと模範に、量り知ることのできない感銘を受け、山上の垂訓を暗記し、
毎日祈りはじめました。

「おお、主よ、私をキリストのように造りかえてください。」そして、15歳で洗礼を受けました。

これだけでも彼の親戚たちは、彼がとんでもないことをしたと考えました。

彼の伯父は彼と断絶し、彼の相続権を剥奪しました。

 結局、21歳のクリスマスの時には、新川にある貧民街で貧しい人たちと暮らすために、
彼は財産をすべて手押し車に積んで、神戸神学校を出発しました。

彼はだれであっても助けと休む所が必要な人と共に暮らし、一日2杯のおかゆだけの生活をしました。

彼がしばしば病にかかったのは、不思議なことではありません。 彼はまた、誤解され、中傷され、攻撃されました。

けれども、彼は報復することもなく、屈服することもしませんでした。

彼は病いにある人を訪ねました。彼は十字架の愛の結晶でした。

彼はその十字架の愛をさらに知ろうと努め、その愛を分け与えるために努めました。



―比べることのできないキリスト/ジョン・ストッド